暁善寺墓地・永代経(永代供養)
・葬儀について
大切な想いをつなぐ、暁善寺の墓地と永代経
暁善寺では、尾幌の地に根差した個人墓や、現代の多様な事情に寄り添った合同墓を通して、ご先祖さまへの感謝とご縁を大切にしております。永代経(永代供養)では、春と秋に法要を行い、ご遺族のお気持ちに寄り添った形での供養を心がけております。墓地や供養に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にお問い合わせください。暁善寺の墓地について

Private Grave
個人墓について
暁善寺の敷地内に暁善寺墓地があります。
これは代々引き継がれてきた各家のお墓です。
それは尾幌に住んでいる方だけでなく、故郷を思いこの地に建立された方、自然いっぱいの土地柄が好きで建立された方などがおります。
また、遠方にお住まいの方や跡継ぎのいない方など、様々な事情を持った方には相談しながら、お守りさせていただいています。

Mass Grave
合同墓について
様々な事情から、お墓の維持や管理が難しくなる現代において、合同墓は大切な選択肢の一つとなっています。
暁善寺では、平成25年に合同墓を建立いたしました。
向かって左側の墓は昭和八年の説教所焼失による供養塔で、右側の墓(五輪塔)は合同墓となっております。
この合同墓に納められた方のご縁のある人が、いつでもお参りされ、亡き方との思い出に浸れる場になるように暁善寺で守らせていただいています。
また、毎年8月16日13:00より、合同墓でお参りいたしますので、ご参加ください。
永代経(永代供養)について

Eitai Sutra
永代経(永代供養)について
浄土真宗における『永代経』の本来の意味は「永代にわたり、お経が上げられ、お念仏のおみ法が伝わりますように」という願いが込められています。なお、本来の意味の通り、「ほったらかしにしていい」ということではありません。自分のできるうちは、お参りされ、是非仏縁に出遇うご縁を大切にしていただくことを願ってます。
「永代供養」の「供養」とは「供給資養」という言葉が略されたものです。「供給」とはお供えをすることを指し、「資養」とは自分の心を養うという意味を持ちます。
亡くなった方を供養するということは、ただ物をお供えするだけではなく、自分の心を尽くすことを表すのです。
浄土真宗ではあまり「永代供養」という言葉は用いませんが、親しい人の死を悼み、遺された者が心の整理をつけながら、故人への感謝を心に刻み、仏縁に出遇い、お念仏相続の日々を歩むことが「永代経(永代供養)」の本来の意味だと思います。

Feature
暁善寺の永代経の特長
暁善寺では「永代経法要」を春季と秋季の2回に渡り、行っております。また、昨今の様々な事情を鑑み、その方に合わせた形を提供させていただくような柔軟な体制を整えております。四季折々の花が咲く、自然豊かなこの地をお探しの方はどうぞお気軽にご相談ください。

Message
メッセージ
当寺では、皆さまの大切な想いに寄り添いながら、仏縁に出遇うご縁を大切にしております。お墓や仏事に関するご不明な点やご相談がございましたら、どうぞお気軽にお問い合わせください。
葬儀について

Eitai Sutra
永代経(永代供養)について
生まれたものは必ず死にゆく。
厳しく辛い現実です。
通夜・葬儀はひとりの人間の死という事実を、私たちが自分自身の問題として受けとめていく、大事な仏縁です。
身近な方の死という悲しみを通して、真実の教えである仏法に出遇い、自分自身のいのちの行方を見つめ直します。
「死んで終わり」ではなく、「浄土に生まれ仏とならせていただく」のです。先に仏さまとなられた方を偲び、遺された方には阿弥陀さまの教えに出遇うご縁にしていただきたいと思います。
通夜・葬儀、ご法事などの仏事について、これまで浄土真宗にご縁のなかった方も、お気軽にご相談ください。

FUNERAL
暁善寺・光暁寺の葬儀
暁善寺・光暁寺では、ご門徒の皆さまのご要望に合わせた形で、葬儀を行っております。釧路市内の葬儀社所有の葬儀会場で行うことも多く、尾幌酪農ふれあい館や上尾幌地区コミュニティーセンター、その他地域の施設を使うこともあります。
また、最近では、暁善寺や光暁寺を会場に行う葬儀もあります。
お寺で行う葬儀は、本堂のご本尊の阿弥陀さまを中心に、内陣にご安置します。
お寺を利用された方は「亡くなった方とのお別れの時間が十分に取ることができる」「通ったお寺で葬儀をすることによって思い出に浸れる」などといった声をいただいております。
24時間いつでも会場を利用することができ、控室や台所なども自由に利用できます。
また、イスや机などの備品もありますので、大切な方との別れの場所として、ひとつの選択肢としていかがでしょうか?